このように、男らしさの病はその人個人の人生観や男性観だけの責任ではなく、その時代や、親から受け継いだものに大きく影響されています。
なぜ、ここまで男らしさを無意識にしょい込んで、生きづらさとして感じなければいけないかを考える時に、心理学的にその人個人の心の問題だけでなく、社会学的な考え方も必要になってきます。
これは少し専門的な話になりますが、フロイト以降の精神分析の次に、Eエリクソンらが発展させた自我心理学というのがあり、それは相互性という考えを大事にしました。母親との相互性、社会との相互性です。ここから心理学が、その人の人生の仕事観、結婚観、人生観は、時代や社会や環境が人の精神の発達に大きく影響を与えるという考えになってきました。特に自分の親の世代から受け継いだ価値観に大きく左右されると考えました。
私たちの親世代は、田舎から出てきて、夫婦中心主義的な核家族を作って、都会に人口が流入した時に大量に出来た集合住宅や、社宅、新興住宅地に住みました。
そこには田舎の息苦しい地域社会はありませんが、地域の文化などは一切育ちませんでした。
その代わり学歴中心主義という画一的な価値観に一斉に順応していきました。学歴と以後の就職の比較だけがその人価値になり、父親は会社に撮られ長時間労働を課せられ、子どもは父親から人生観を学ぶのではなく、母親と精神的に癒着をして受験戦争に臨みました。その価値観はさらにマスコミから煽られたので、益々画一化が進みました。
学歴中心主義のヒエラルキーの上にいることが人生の勝ち組という価値観が出来上がり、そのようなカップルが結婚して子どもを産んだわけです。当然その子どもは、その親の価値観を受けていますので、受験だけが価値があるように感じてしまいます。それに敗れた人たちは一発逆転でアーティストになるか、屈辱感を抱えたまま引きこもりになるかになっていきます。