女性は、自分が望まれて関心を持たれていると感じたいだけなので、男性が自分に関心を持ち、受容し、心を開いてくれるのを待っているのですが、男性はこのような男らしさに囚われているので、自分の鎧(肩書、学歴、収入、筋力、金(玉)力)を見せて、すごい人ねと思われないと、関係性の中に入っていけなくなります。最初からコミュニケーションのレベルが違っているわけです。
夫婦間葛藤のケースを見ていると、概ね、男性側は、夫婦とは家族とは子育てとはこうあるべきだという正さ、正義、それを根拠づける誰か偉い人が言っている引用、解釈、抽象的な理論、原因結果の状況の説明、果ては、法律、国家論にまで、ほっておくと話が広がっていきます。外(権威)から答えを持ってこないと自分が保てないのです。男は鎧がないと自分を語れないのです(それも自分のことを語ってはいないのですが)。「ボクは悪くないもん」と言いたいだけで「ボクは君から責められているように感じて怖い、不安だ」が言えないのです。
不安、恐怖も男性にとっては、感じてはいけないと教え込まされている感情の一つですので、それを感じることを抑圧したり否認してしまいます。自分の感情は自分の問題であるのに、その感情を感じさせる相手が悪いと責めます(「お前がこう言ったから、オレは怒るんだ」)。(これを心理学では投影同一視と言います。)
つまり男性はなかなか相手に心が開けないのです。そして自分の語ることが出来ません。つまり自分が今何を感じているかが分かっていません。そのような感情を感じることが苦しいので、すぐにまず解決は何か、自分の正しさは何か、という抽象的、論理的な思考へと走ってしまいます。女性が聞きたいのは情緒の言葉であるので、最初からコミュニケーションで齟齬が最初から生じてしまうのです。男性に社会が求められる男らしさのジェンダー意識がそうなで、すべてがその人個人の問題でもありません。