男はプライドの生き物だから

男はプライドの生き物だから

男性は女性に心が開けない、自分が語れないと前回書きましたが、それはの感情と結びついています。ダメな自分をさらしたら嫌われるのではないか、受け入れられないのではないかという恐れです。

プライドという鎧

それが故に鎧を着る必要が出てきます。その鎧が破れると思う時に恥の感情が出てきますので、それを回避しようとします。

それが男性の会話に見られる非常に高度に抽象化された論理的会話です。その鎧が男性らしさというジェンダー(社会的、文化的に作られた男らしさ)によって作られています。恥をかきたくないというのは女性にもある感情ですが、特に男性はこの男性意識、ジェンダーに強く結びついています。

鎧

すごい自分をアピールする“ナルシシズム”

恥の感覚が強いということは、それだけ自己愛(ナルシシズム)が肥大しているということです。「こんなに偉い、スゴイ自分」を保っていなければ怖くて女性(他者あるいは社会)の前に立てないのです。

社会的な評価、価値、成果、が高い者、一角の者、傑出した者でなければならないという思い込みです。そんな者は誰もが持てないので、すごい自分という自己愛の肥大を満たしつづけるために、そこそこの収入と学歴と、現代では、自分の肥大したナルシシズムをさらに肥大させる、パソコンや携帯を見られる環境が必要になってきます。

自己愛を肥大させやすいインターネット

収入と学歴がない者は恥の感覚のあまり、実家に引きこもり、バーチャルの世界でキングとしていつづけます。

パソコンでインターネットに没入していれば、自分の見たいものだけを見続けることができて、他者が介在しません。つまり「それは変だよ、おかしいよ。」と言ってくれる人がいないので、そうありたい自分像を際限なく肥大化させることができます。インターネットは、それに適した環境です。これは現代特有の環境で、現代は多かれ少なかれ、自己愛の肥大が起きやすいナルシシズムの時代だといえます。

肥大した自己愛が壊れるとき

自己愛の肥大を起こした自己は、それが破れて、現実の自分があらわになることを恐れます。当然、現代の男性は大抵が対人恐怖者です。その自己愛の肥大の原型は、母親と赤ん坊の関係で育つ、赤ん坊の中の幻想されるような自己愛です。

そのような自己愛の肥大に浸り続けることを壊すのが、挫折であったり、心の病気であったりするわけです。

女性が待っているものとは

ここで他者に心を開くチャンスが訪れるわけです。心を開くとは、他者に自分を開示することです。状況の説明や、哲学的な議論や、悟ったかのような偽の解脱の心境ではありません。

症状や外の刺激だけに反応する失感情の状態から、弱者(あるは外れ者)としての自分が、自分の弱さ、苦痛や苦悩を自分の言葉と感情で語れるかということになります。

そのようなあなたの言葉を女性は待っているのです。

仕事=男らしさ

男らしさの病は仕事面に一番よくあらわれるのではないでしょうか。仕事は男のプライドそのものだからです。長時間労働、過労死、自殺(失業による)などは日本の男性の働き方の代名詞にさえなっています。ちなみに日本の自殺のほとんどが中高年の男性によるものです。その原因が経済的困窮で、要はリストラされて職がない状態を苦に自殺するというものです。自殺も代表的な男らしさの病と言えるでしょう。

さらには女性よりも男性の方が寿命が短いことも、この働き方のストレスによると言ってもいいかもしれません。

恥より死を選ぶ男

恥よりも死を選ぶのが男の生き方になっているわけです。失業した、お金がない、職が見つからないという自分の弱さを語る恥に耐えられないのです。これほど男のプライドは生きづらさに関係しています。

ちなみに、独居老人の、孤独死はほとんどが男性ですし、精神科クリニックの患者はほとんどが女性です。

それは何を表しているかというと、男性は、助けを人に求められない、ということと、他者に心を開けない、自分を開示できないということです。

感情を殺している男

多くの男性が状況の説明は出来ても、自分が何を感じているか分からないことが多いのです。

これを失感情(アレキシサイミア)と言います。自分の感情に無関心で、外の刺激だけに囚われている状態です。

このように男性は他者との親密性を避けて、自己愛の肥大した自分だけの感情の失われた世界に逃避しようとする傾向があります。

自分では何か解決をしようとしているのでしょうが、その分だけ益々、孤立し、他者との関係から離れていきます。自分の男らしさのプライドは保たれますが、最後は自死という解決をしようとします。これぞ対人恐怖的な生き方、失感情という、うつ病者の行動でしょう。

涙が氷を解かす

現代の日本の男性はこのように生き方として、対人恐怖と失感情といううつ病を潜在的に抱えていると言ってもいいかもしれません。

これほど男性はもろいのです。 では、男性は情緒の言葉を持っていないかというそうではありません。最近では若い男性がよく泣くシーンがメディアで見られますが。

自分の悔しい、悲しい、寂しい、情けない、感情に触れ、そこで流れる涙が、固まった氷の心を溶かします。

男の性愛(セックス)

男らしさの病が一番現われるもののもう一つが性愛(セックス)です。これは女性との親密性についても関わるのでこんがらがったものになります(性的対象が同性でももちろんいいのですがここでは異性愛ということで話を進めます)。

なぜなら書いたように、男らしさは、親密性を避ける方向に行くからです。多くの男性が他者に自分の弱さも含め自分の心を開くことに恥に耐えられず、親密性を避けてしまいます。

このままの自分は弱い、ダメだ、こんな自分は相手から受け入れられないと感じているので、それを隠すための強さの鎧を着て、親密性を回避してしまうのです。

それでもテストステロンの分泌で性衝動(性欲)は高まりますで、自慰を含め、その放出に向かいます。

そもそもセックスとは

当然ながら、セックスは最も人と人が親密性を感じる行為です。お互いが心も身体も境界線を破り、許し合うような、危険な状態に入る行為でもあるわけです。一方が一方に服従したりするのではなく、相手を認め、相手の侵入を許す相互承認が必要です。それが故に陶酔も深くなり、親密性も増すわけです。

男の勘違い

これは最も男性の苦手な、他者を認め、受容し、自分の心を開き、相手に認めてもらうことができなければならないのです。実際、男性は大きいペニスの勃起と射精力という男らしさにこだわっていて、それがあれば相手が受け入れてくると勘違いしているわけです(ですから、アダルトビデオには、男性の性幻想を表しているわけです(そこには女性は不在、物化しているマスターベーションです))。

自分と違う他者(女性)と出会って、自分が受け入れられるか不安になる(例えば自分が告白して相手の女性に受け入れらえるか)というのは当然のことなのです。

その自分の感情を受け入れ、その自己承認があって、他者の承認があります。そうでなければ、親密な他者さえも屈服させる征服の対象になってしまいます(端的にDVはそのあらわれです)。

(参考文献)

『男はプライドの生きものだから』テレンス・リアル 2000年 講談社