幻想と現実:現代の家族関係の葛藤と心理セラピーの役割

対人恐怖社会

「戦後日本型循環モデルの崩壊と自己愛的な幸せ家族の幻想」

建前と幸せ家族のモデル

前回書いたように、家族の画一化が進むことは、表面上は建前がつくろわれた家族を形成しますので、父親は一流企業に入っていて夜遅くまで働いて、母親は家事育児に専念し、子どもたちは学校の成績がよく小中学校から私立に行くというのが幸せだという家族です。

「戦後日本型循環モデル」とは?

そのモデルは、戦後高度成長期にはとてもあっていたモデルだったのですが、現代はこのモデルが機能しなくなってきています。社会学者の本田由紀はこのモデルを「戦後日本型循環モデル」と言っています。

自己愛と幸せ家族の幻想

人生を素晴らしくありたいという(マスコマなどに作られた幻想)親の自己愛を子どもは思いっきり投影されて成長しますので、現代社会に急速に作り上げられたタテマエ‘幸せ’家族を作ることが人生の目的だと思い込みます。

メディアと引きこもり関係

さらに現代化が進むことで、テレビ通信ITメディアが発達し、昔のような荒々しい感情をぶつけ合うような生々しい人間関係をするよりは、自分の思うように操作できる、メディアの中で時間を過ごすことの方が楽になります。

内的な引きこもり関係の形成

地域社会の崩壊で道徳やコモンセンスや言わずもがなのルールが無くなり、人との距離が近いと感情の衝突が起きますので、そのような人間関係の葛藤を避けるようになり、表面上はやさしさ、物分かりの良さを示しながら、心の中は開示しないような内的な引きこもり関係を作ります。

ネット上での自己愛の肥大化

さらにメディアによって膨れ上がった自己愛は、ネットの世界であれば、誰からも指摘されることは無いので、思うような肥大した自己愛を育て上げていくことが出来ます。

自分はすごい存在だ、称賛をあびたいと思いながら、一方で対人関係は傷つけあわないように距離を取った関係を保ちます。

そつなく人間関係はこなし、さまざまな場面や状況に応じて自分を合わしていくことができ、社会生活や家族に表面的に適応していくのが現代の大人像といえます。

表面的な同調と役割演技

表面的に同調し、お互いの葛藤を避け、パフォーマンスがいい、イケている自分(父、母、子ども各人)が役割を演じていて、そのような個人が集まる家族が幸せ家族という幻想の中にいます。

幸せ家族の幻想とSNSのアピール

SNSを見れば、いかに自分や、自分の家族が素晴らしいか幸せかをアピールする人たちがあふれています。

これは、同調はしているけれど、感情的には引きこもっている状態です。

自己中心的なロボット化と人間関係

このよう状態は何も家族だけではなく、学校でも職場でも同様です。自分が目立つようなことはしない、意見は言わない、言われたことをソツなくこなし、輪を乱さないようにしているのはどこでも同様です。

役割をこなしていれば、その場に居場所を作れるからです。

当然そのような環境の中では自分の意見を持つことはトラブルの元になるので、自分の意見などは持たず、人(上司、先生、夫、妻、子どもなど)の言いなりになります。言われたことだけをやるのですから、これはロボット化です。

ロボット化

冷たいやさしさと自己中心性

家族内で起こっていることが、外の社会(学校や会社など)でも同様な型で繰り返されています。これを心理学では、投影と言います。自分の内面や行動が無意識に繰り返されて、環境は違えど、同じパターンが繰り返されているのです。

このようにして各個人のロボット化が進みます。お互いのことを尊重し、同調するようでいて、自分の意見は言わない、自分の利益になることしかやらないという態度です。

現代社会の対人恐怖

そこでは表面的な“冷たいやさしさ”が求められます。冷たいというのはこの肥大している自己愛の極端な自己中心性を示すものなので、自分の利益だけを考えるようになり、自分はきれいだが相手は汚いという極端な清潔主義、他人の細菌に感染するという考えにつながります。

現代社会は全体的に対人恐怖的な社会と言えるでしょう。

地域との孤立化と引きこもり問題

現代の家族は、このように過度に自己愛的で、自分がいかに幸せ家族であるかが目的となっていますので、特に都市部では、地域やコミュニティーから孤立化します。ご近所さん同士挨拶する程度で、関係を持つことを避けます。お隣の名前さえ知らないというのが普通でしょう。 それは家族が自分の利益だけを考えていて、地域から引きこもっている状態です。

そのような家族から引きこもりが出ていると考えれば当然、引きこもり個人の問題だけではないと理解が出来ます。

幻想仮面家族と快感原則

家族という表面上は整っていますが実は、心は通っていなくて、各人の立場や建前をソツなくこなし、それを維持することが家族の幸せだと我々は信じています。しかし実は、それらは自分たちの自己愛の投影である、幸せを演じる家族であり、幻想仮面家族と言っていいでしょう。

この仮面家族は、各人が自己愛の殻の中にいて、その自己愛を父、母、子どもがお互い壊さないように、‘やさしい’配慮忖度によって成り立ちます。

これを心理学では快感原則といいます。

仮面家族の幻想と亀裂の出現

各人、家族がこの‘幸せ’家族という幻想、快感原則の中で最後までいられればよいのですが、それに亀裂が入ることがあります。

それは多くが、子どもが、受験に失敗した、不登校になった、非行に走った、引きこもりになったなどの家族の期待に外れた子どもたちの問題として現れます。

そのような子どもたちはもう家族に居場所を見つけられないので、親から見捨てられた気分になり、親側もこれだけ期待をかけたのに自分たちの期待を裏切ったという思いから関心を寄せられなくなります。

子どもの問題行動で、家族幻想が壊れ、亀裂を入れ今までの人間関係や現実があらわになります。

幻想が壊れる

現実原則と真の人間関係の再構築

心の通ってない冷めきった夫婦関係、人や世間の評価にしか価値をおけない空っぽな人生観、自分の人生をどうやって生きていけばいいのか分からない空虚虚しさ、他人を自分の損得の道具としてしか利用してこなかった自己中心性、夫の家族を顧みない長時間労働、それを良しとし、経済的に依存し、自分の虚しさを抑圧し子どもへの癒着する母親、などが露わになります。これを心理学では現実原則と言います。

真の自分に戻れるきっかけが心理セラピー

これを災難苦しみ不幸としてとらえると、元の幻想幸せ家族にしがみつこうとします。現実原則を見るのは苦しいので、快感原則に幻想にしがみつきます。 しかし、ここからが真の人間関係、個の確立が築かれていきます。このような家族の真の人間関係の再構築のお手伝いをするのが心理セラピーです。

(参考文献)

『もじれる社会』本田由紀 2014年 ちくま新書