自分の理想はどこにあるのか

自我理想

前回書いたように、男らしさの病は、男性の自己愛に関係するものです。自分はこうあるべきだという思い込みが、実際の現実の人と社会との関係性にズレが生じることから来ています。

これは自分がどういう世界観、男性観を取り込んだかという、こととも関係があります。

こういう自分がかっこいいと思う、好きだと思うという自己愛です。

健全な自己愛

健全な自己愛は赤ん坊の時に、母親から全面的に愛された経験から育つもので、それがないと私たちは生きていけません。それとは別に、主に思春期頃の自我の目覚めの時に、他者の目を意識するときに、取り込んでいくものがあります。周りがかっこいいとか素晴らしいと思う人(スポーツ選手やアイドルなど)を理想として取り込んでいきます。

現実の自分と理想の自分があって、少しでも理想の自分に近づけようとするわけです。

理想の自分を取り込んでいく

簡単な例は、自分の姿を鏡で見て、腹が出ていたら痩せようと思います。それは痩せて締まった身体がカッコイイと思っているから、現実の自分をその理想の自分に近づけようとします。このように自分自身を心の鏡に映して、鏡の自分に現実の自分に合わせるように形作っていっているわけです。

理想の自分と現実の自分の妥協

この理想と現実の自分が自己一致していれば、それほど人生は生きづらくはありませんが、理想が高すぎると、今の自分が認められませんので、努力して手に入れるか、諦めて引きこもりになるか、そこそこで見切りをつけて妥協していくかになります。

もちろん3番目をお勧めするのですが、話はそれほど簡単ではありません。戦後くらいまでであれば父親という自我理想が曲がりなりにも機能していましたが、父親は不在になり、それに代わる自我理想のモデルが現代は、非常に流動的で多様化されヴァーチャル化しています。その多くが、マスコミが架空に作りあげた理想なので、ありもしない理想に自分を近づけようとなります。架空なものをあたかも、理想かのように取り込むムリが生じます。

時代とともに変わる理想

このように、男らしさの病はその人個人の人生観や男性観だけの責任ではなく、その時代や、親から受け継いだものに大きく影響されています。

なぜ、ここまで男らしさを無意識にしょい込んで、生きづらさとして感じなければいけないかを考える時に、心理学的にその人個人の心の問題だけでなく、社会学的な考え方も必要になってきます。

人との関わり相互性によって伝わる価値観

これは少し専門的な話になりますが、フロイト以降の精神分析の次に、Eエリクソンらが発展させた自我心理学というのがあり、それは相互性という考えを大事にしました。

母親との相互性、社会との相互性です。ここから心理学が、その人の人生の仕事観、結婚観、人生観は、時代や社会や環境が人の精神の発達に大きく影響を与えるという考えになってきました。特に自分の親の世代から受け継いだ価値観に大きく左右されると考えました。

私たちの親世代は、田舎から出てきて、夫婦中心主義的な核家族を作って、都会に人口が流入した時に大量に出来た集合住宅や、社宅、新興住宅地に住みました。

そこには田舎の息苦しい地域社会はありませんが、地域の文化などは一切育ちませんでした。

現代の画一的な価値観

その代わり学歴中心主義という画一的な価値観に一斉に順応していきました。学歴と以後の就職の比較だけがその人価値になり、父親は会社に撮られ長時間労働を課せられ、子どもは父親から人生観を学ぶのではなく、母親と精神的に癒着をして受験戦争に臨みました。

その価値観はさらにマスコミから煽られたので、益々画一化が進みました。 学歴中心主義のヒエラルキーの上にいることが人生の勝ち組という価値観が出来上がり、そのようなカップルが結婚して子どもを産んだわけです。当然その子どもは、その親の価値観を受けていますので、受験だけが価値があるように感じてしまいます。

それに敗れた人たちは一発逆転でアーティストになるか、屈辱感を抱えたまま引きこもりになるかになっていきます。

学歴

(参考文献)

『現代のエスプリ アイデンティティ』小此木啓吾編集・解説 1973年 至文堂