男らしさの病

男らしさの病

最近では、大分、男らしさ、女らしさと言わなくなりましたが、それでも私たちはジェンダー(社会的な男・女)に囚われていると言えるでしょう。

無意識に囚われている“男らしさ”とは。

男であればこうであらねばならない、こうあるべきだという誰かに強制されたわけではないけれど、無意識に思い込んでいる男性意識に縛られています。

男は強くなければならない、負けてはならい、努力して苦難を乗り越えて勝たないといけない、女性より劣っていてはいけない、金持ちじゃないといけない、頭が良くないといけない、女性にもてなくてはいけない、などなどです。バカバカしいと思いながらもこれらの紋切り型の言葉に囚われています。

現代の競争社会、格差社会ゆえにしがみつく“男らしさ”

さらに高度成長期後の現代の日本では、過度に大学受験、高学歴に価値を置いたので、勉強できる人が偉い人、偏差値の高い大学に出た人が偉い人という価値観が刷り込まれています(学歴格差)。小学校の時から個人の力を伸ばす、個の確立と言いながら、それは受験競争主義であり、人の命は大事ですとヒューマニズムをいいながら、学校化適応主義のことです。

男のパワーゲームとは

男性だけとは現代では言えなくなりましたが、男性のこの競争主義は拍車がかかっています。競争は比較を生みますので、他者より上か、下か、勝ちか負けかが人生の価値基準になっています。

実際に男性は集まるとやたらと階級や役職を付けたがります。軍隊組織と同じことをやりがちです。つまりは肩書のことで、役割がないと何をしていいのかわからないのです。

例えば笑い話ですが、老人サークルなどで男性が集まると、活動の内容より、まず役職とか、肩書とかヒエラルヒーをつけたがります。それは刑務所でもそうです。男性刑務所はそこで長く入っている人順にヒエラルヒーが付きます。

筋肉パワーゲーム

降りることが出来ない男のパワーゲーム

このような世界観に縛られているので、人生に躓いたりすると(例えば不登校、受験の失敗、中退、就職転職の失敗など)、それが汚点となり、それを取り戻そうとします。

人は負けていると思う屈辱感に耐えられませんので、いつか取り返していやると思っています。すると勝つまでやるという勝ち負けのゲームから降りられなくなります。

ちにみにこの“負けた感”に囚われているのが引きこもりの人たちの心の中の葛藤と言えるでしょう。

こんな人生観であれば、恐ろしくて、固い鎧(学歴、年収、筋力、金(玉)力)をつけてないと他人、特に異性の前に出られないでしょう。

それでずっとディスコミュニケーションが続くわけです。

男女のディスコミュニケーション

女性は、自分が望まれて関心を持たれていると感じたいだけなので、男性が自分に関心を持ち、受容し、心を開いてくれるのを待っているのですが、男性はこのような男らしさに囚われているので、自分の鎧(肩書、学歴、収入、筋力、金(玉)力)を見せて、すごい人ねと思われないと、関係性の中に入っていけなくなります。最初からコミュニケーションのレベルが違っているわけです。

男がやる説教の正体

夫婦間葛藤のケースを見ていると、概ね、男性側は、夫婦とは家族とは子育てとはこうあるべきだという正さ、正義、それを根拠づける誰か偉い人が言っている引用、解釈、抽象的な理論、原因結果の状況の説明、果ては、法律、国家論にまで、ほっておくと話が広がっていきます。

外(権威)から答えを持ってこないと自分が保てないのです。

男の本音とは

男は鎧がないと自分を語れないのです。要は「ボク正しいもん、ボクは悪くないもん。」と言いたいだけなのです。「ボクは君から責められているように感じて怖い、不安だ」が言えないのです。

抑圧された男の怒りがDVを生む

不安、恐怖も男性にとっては、感じてはいけないと教え込まされている感情の一つですので、それを感じることを抑圧したり否認してしまいます。自分の感情は自分の問題であるのに、その感情を感じさせる相手が悪いと責めます。

DV男がいう、「お前がこう言ったから、オレは怒るんだ」という定番のセリフがあります。

これを心理学では投影同一視と言いますが、自分の抑圧した感情(怒りや不安、焦り)などをパートナーに投影して、相手が自分を攻撃していると感じていることから起こります。

心が開けない男

要は、男性はなかなか相手に心が開けないのです。そして自分の語ることが出来ません。つまり自分が今何を感じているかが分かっていません。これは感情鈍麻(アレキシサイミア)と言えるでしょう。

そのような感情を感じることが苦しいので、すぐにまず解決は何か、自分の正しさは何か、という抽象的、論理的な思考へと走るので

女性が聞きたいのは情緒の言葉である(例えば「今自分は不安だ」、「君からバカにされるのではないかと思うと怖い」)ので、最初からコミュニケーションで齟齬が最初から生じてしまうのです。

社会構造が、男性にそのような男らしさを求めているちも言えるので、男らしさのジェンダー意識がその人個人の問題ばかりとは言えません。