「毒親」から離れても苦しい人へ
「毒親」から物理的に離れても生きづらい人はどうすればいいでしょうか。
「毒親」から離れていても苦しい理由
「毒親」から物理的に離れても、自分の中に内在化した親(厳しすぎる懲罰的な超自我)が自分を親のように攻撃するので、自分自身との関係が悪くなっています(自分が嫌い、自分に自信がない)。
対人関係においても、今まで自分を守るために築き上げた防衛的な人間関係のパターン(被害的になったり、攻撃的になったり)のために、親密な人間関係を作るのに難しくなります。
自分自身との関係をよくする
なので、物理的に「毒親」から離れるだけでなく、自分自身との関係をよくする必要があります。
自分の関係をよくするには、自分を肯定してくれる、他者の視線を自分の中に取り込んで、自分自身の記憶(の意味)やセルフイメージを書き換えて行く必要があります。
それと大事なのが、将来の自分のイメージです。どういう自分になっていたいのか。これを自我理想といいますが、それが今の自分から将来の自分への推進力になります。
その自我理想に“しなやか”に同一化して、なったかのように振る舞ってみます。
実は人は様々な仮面をつけて生きている
コツとしては、「これが自分だ!」という一つに限定したものではなく、その場その場に合わせて、あれも、これも、振舞う柔軟なパーソナリティです。
例えば、現代の女性は、妻として、母親として、仕事人として、と一人三役をやっていることも多く見られます。昔は女性と言えば、結婚して出産して子どもをたくさん産んで、家に滅私奉公するという一択しか生き方がありませんでした。
しかし現代では女性の役割はあれも、これも、やっています。このように時代に合わせて柔軟に姿を変えて、仮面をつけていくことです。
治った“ふり”して生きてみる
同様に、今生きづらい人たちも、引きこもりが治ったかのように、アルコール依存が治ったかのように、社会人のように、自信を持っている人のように、頭がいい人のように、リア充であるかのように、コミュ力の高い人のように、振る舞うとしたらどう振る舞うのでしょうか。
これをas if パーソナリティ(H・ドイッチェ)といって、あたかも~かのように振る舞うことをいいます。
結果から入る。
結果から入って、それを続けることで、自分の内実もそれに見合ってきます。多くの人がこの逆をやってしまいます。「自信が付いてから、人と会います。」ではいつまで人と出会うことはありません。