自分が何をしたいか分からないという人へ

理想と退屈

“キラキラ”な理想と退屈感や空虚感は関係があります。

悩みがないことは悩みなのか。

セラピーに来る方のなかには、特別に困っていることはないけれど、自分が何をしたいのか分からない、生きている意味が分からない、なんとなく退屈だ充実感がないといった漠然とした、悩みともつかない悩みに相談に来られる方々がいます。

そういう方々は概ね、情報に敏感で、対人関係もそつなくこなし、仕事も順調という方々です。

しかしよく聞いていくと、

システム手帳にスケジュールがびっしり埋まっていますが、それはまるで、退屈感を感じないようにしているかのようです。

対人関係のそつなさも、まるで対立を避けているかのようにいい人をやっています。

流行や情報に詳しく、理想が高いのは、自信のなさを補填するかのように見えます。

「理想を求める」というのは危険な行為

実際にAC(アダルトチルドレン)は親に不適切な養育を受けているので、普通の暖かい家族が分からない、人から関心や愛を向けられていることの実感が持てていません。

その実感がないので、広告やドラマに出てくるような、キラキラした家族や、ラブラブな恋愛や、“ワンピース“”的な熱い友達関係をやらないと幸せではないと思い込んでいるフシがあります。

なので、それに見合った努力も惜しみませんが、欲しいものはいつまでも手に入らず、いつも不全感(怒り)を抱え、その理想が手に入らない自分を努力が足りないと恥じていることが多いのです。

そもそもそのような理想など、ないのは頭ではわかっているのですが、自身の中の空虚感が(自己愛の傷つきといってもいいかもしれませんが)、そのような理想を求めてしまいます。

“退屈”感の根にあるものは“さびしさ”

やることをいっぱいやってスケジュール帳も一杯だけれど、なにか退屈感があります。その退屈感は、空虚感が含まれています。自分の空っぽさを感じたくないので、それを埋めようとします。それが一杯のスケジュールになります。

その空虚感とは、寂しさの防衛です。寂しさは人間にとって最も苦手な感情の一つです。赤ちゃんがお母さんから暖かい視線と体温とミルクが満たされていない状態に近いからです。

その寂しさの防衛が、空虚感であり、退屈感です。

寂しさを感じないために人は何をするか

寂しさは苦しい感情なので、その心理的防衛として、感情鈍麻(Alexithymia、アレキシサイミア)(感情を感じないようにする心理的防衛)をおこします。その感情鈍麻の現れとして、空虚感や退屈感が出てきます。

これを埋めようとする行為としてスリルや、過剰な興奮(アルコールや薬物、不倫や逸脱したセックス、などなど)を求めるようになります。これは依存症の原因です。

しっかり“寂しさ”を感じよう。

人は寂しいと何をするかと言えば、人と会いたくなります。これは健康な欲求です。親密な人間関係(母親と赤ん坊の関係)を求めます。そのためには、退屈感、空虚感のような心理的防衛をはずし、しっかりと寂しさを感じ、親密な人間関係を求め、質の高い精神活動を求めていきましょう。

退屈はその質の高い精神活動を発揮するチャンスです。セラピーはそのお役に立てると思います。

参考文献:

『「自分のために生きていける」ということ』斎藤学著、2004年、大和書房

退屈