「退屈」は真の自分の発見への道

質の高い人生

前回は退屈から、質の高い精神活動が生まれるといいましたが、その質の高い精神活動とは何でしょうか。

現代は質の高い精神活動を送れる時代

それはもちろん、パフォーマンスの高い結果ではありません。結果はあまり関係がありません。

そもそも昔は、食べるのがやっとで、その日その日にどうやって食べようかと考えていた時代があったわけです。そこには精神性も何もないわけです。今日食べ物がなくて生きるか死ぬかという時に摂食障害もうつ病もありませんでしたし、今流行りの、発達障害だの、起立性調節障害だの、HSP(highly sensitive person)はありません。

食うや食わずの時代が終わって、衣食住が満たされた現代では、だれもが退屈になり、その退屈感を埋めるために、他人の用意した消費物で、時間をつぶしているのが今の時代です。

空白から質の高い精神活動が生まれる

臨床ではよくあることなのですが、症状が治まったときに、ふと強烈に、空虚感が襲ってきます。そこで急いでスケジュールを埋めてしまっては元の自分と同じことになります。

そのスケジュールに埋めている事柄も、他人からの用意された画一的な、消費物や時間をつぶしの娯楽でしかないからです。

せっかく空白が出来たのですから、質の高い精神活動をしましょう。質の高い精神活動とは何か。

病は必要があって出る

それは自分とは何かを知ることです。症状で自己主張せずに、自分に興味を持つことです。そもそも、なぜ、そんな厄介な心の病を患ったのでしょうか。心の病が出てくるには、理由があって、必要があって出ています。無駄なことはしていないのです。

自分の物語(ナラティブ)を紡ごう

必要があって出てきているものを薬で抑え込むのではなく、病はもう一人の自分であると考えて、自分と対話してみます。自分の来し方を振り返り、現在に至った自分を眺め、将来を見据えてみます。そこには豊かな自分物語が隠れています。それを発見してみましょう。

例えばそれは、人(親)の評価に自分を合わせようとして、それが叶わないことで、病気になった、過剰なパワーゲームの勝ち組に乗ろうとして疲れ切ったことなどが分かってきます。

質の高い人生、真の自分らしさのどこにあるのか?

病が治ることが目的なのではなくて、病気から治るまで過程で知り合った人たちとの会話やその濃密な時間の共有が実は一番豊かだったということに気が付きます。

これが質の高い人生の発見です。

参考文献: 『「自分のために生きていける」ということ』斎藤学著、2004年、大和書房

質の高い人生