上手に甘えることが自立への道
甘えることはわがままなこと?
心理セラピーでは、「自立」は大きなテーマです。人に甘えたり依存したりせずに、自立することが大人になることだと言われます。そのために、甘えたり、依存することは、子どものやるわがままで、自立した大人はそこから卒業しないといけないと言われます。
しかし、引きこもりの方、うつ病など精神疾患で悩んでいる方の多くは、甘えてはいけない、人に依存してはいけない、早く自立しないと行けないと自分を叱咤し、ますます葛藤が激しくなり一歩が出なくなっていることが多く見られます。
健康的な甘えと病的な甘え
健康的な甘えとは何か。
甘えには健康的な甘えと、病的(神経症的)甘えがあります。そもそも甘えとは、自分が甘えることが、相手の喜びであるという、相互的な人間交流です。
この原初は、お分かりのように母親と赤ちゃんの関係です。赤ちゃんがお母さんのおっぱいを求め(甘えること、依存すること)、お母さんがおっぱいを赤ちゃんに与えることが喜びになるという関係です。
大人になってもこの相互の人間交流を求めることは喜びになりますし、わたしたちは死ぬまでこの種の相互の人間交流を求めます。しかし大人がやる場合は、お互いが独立した人格で、別々の人格を持っていることが認識できていることが条件です。お互いに欲求の充足が得られる甘える甘えられる関係は健康的な甘えと言えます。
病的な甘えとは何か。
一方で、病的(神経症的)な甘えとは、この健康的な甘えが挫折した時におこります。いつまでも欲しいものをくれないから、固着し、執着して、「食う、食われる」「のむ、のみこまれる」関係になってしまいます。この病的な甘えは、喜びの相互交流とは逆のものですので、憎しみや恨み、の関係になります。
さらにこのような関係は、憎しみ合っているのに離れられない「共依存」関係につながっていきます。
私たちが望んでいるのは他者との一体感
相互の人間交流とは具体的には何を得るのでしょうか。それは一致感です。赤ちゃんとお母さんであれば、一体感(unity)、再結合感(re-union)です。自他の境界線が無くなるような一体感で、人間関係において至福の時間です。燃え上っている恋愛、セックスの一体感がそうです。
しかし、それは長く続く状態ではありません。大人になって一体感、再結合感を求め続けると、そのような一体感はすぐに冷めてしまうので、たちまち飢餓感に襲われることになります。
この飢餓感に襲われ、物質(アルコール、食べ吐きなど)やプロセス(パチンコ、スマホなど)や人間関係(共依存、DVなど)で埋めようとして、それらがやめられなくなる病気が依存症です。
そうではなく、大人の相互交流関係においては一致感(sense of togetherness)得る事が大事です。あなたと私は違う人、人格として分離されている認識がきちんとある上での一致感を得ることです。それは、感情の共有、共感、承認の感覚になるでしょう。
甘えは元気の源
この健康的な甘え(依存欲求)の充足は、人間のパーソナリティにとって終生その成長、発展の原動力になり、このような母的な力から、生命力、創造的な力をくみ取っていきます。
しかしこの甘えが病的な甘えになると、この母なる力が母執愛(古沢平作「阿闍世コンプレックス」)になり、対立葛藤、私たちから力を奪っていくものにもなっていきます(=共依存)。
わたしたちは一般的に甘えはいけないとそういう気持ちを抑圧し、自分を厳しく、規則やルールに計画に縛って克服しようとします。このような自己責任論は、これ自体が神経症的な振る舞いになるので上手くはいきません。
適度な甘えとはどういうものか
ではこの健康的な甘えはどういう時に充足されるでしょうか。
人間関係で、部分的な退行(赤ちゃん返り)を起こし、遊び心や実験性のあるコミュニケーションの中で充足します。それには私たちの中にある遊び心、子どものような心(インナーチャイルド)を思い出し、賦活させる必要があります。
私たちにも大人になって、仕事をしているときにも夢中になって、時を忘れていたという経験がないでしょうか。ないのであれば、遊びや、何かを作っているとき、何かを探求しているときに、このような自分の心の中の子どもが喜んでいる状態はないでしょうか。
それは決して無軌道でムチャクチャなものではなく、創造性に満ちて、ワクワクするものだとおもいます。
実はセラピーでは、このような関係を、構造的に作り出しているわけです。
大崎セラピールームではそのような、夢中になるようなセラピーを提供しています。