自分らしさとは何か?

自分らしさとは何か

今回は、多くの人が探している「自分らしさ」とは何かを心理学的に歴史的背景も含めて解説しようと思います。

自分らしさを考えると分からなくなる?

このホームページにも、あなたらしさを取り戻すお手伝いをしますと書いていますが、実際に「自分らしさ」って何だろうと考えると、分からなくなります。人のまねじゃない、人に影響されない自分、では真の自分ってなんだろう?考えれば考えるほど、それだって、しょせん人のまねじゃないか。他人の欲望のまね事じゃないかと思うと分からなくなります。

自分(らしさ)探しの歴史を振り返る

どこからこの自分らしさをさがす、自分探しが出てきたかを見てみましょう。

戦争がなくなって、平和になり、生きるの死ぬのという物騒なことが起こらなくなり、それまでは食べていくのがやっとという時代から、高度経済成長と都市への人口流入と急激な都市化、流動性の激しい経済、激しい時流の流れがあり、一億総中流の時代へと移っていきました。

このような世界の近代化社会という社会学的な大きな流れのなかから、自分らしさを探すという現象が出てきたと見る必要があります。

「自分らしさ探し」は若者文化から出てきた

60年代70年代になると、日本が驚異的な経済発展をとげたことで、物質的に豊かになり、仕事をして食べていくという、あたりまえのことも、やらないで済んでしまう時代が来ました。急速な近代化によって、様々な社会の歪みが出てきて(公害問題、貧富格差、差別問題、など)、その体制を批判する(大人の社会)若者文化が台頭してきて、そのそれが当時のカウンターカルチャーやヒッピームーブメントといわれ、様々は文化芸術が花開き、社会にも大きな影響を与えました。

私たち(若者)は今の大人のような人間にはならないという、若者らしい主張は、言い換えれば、いい大人(若者たち)が働かないで好きなことをする選択が許される、このような大きな余裕が社会に生まれたという背景があります。

そこから、自分たちは親のようにはならないのであれば、どうして生きて行ったらいいのかという流れで、自分らしさ、自分探しが生まれてきました。

これは近代化した先進国で起こった現象で、自分の生き方が分からない、自分が何か分からないというテーマの文学、哲学、映画、音楽、演劇、絵画、などの分野で扱われました。

自分らしさとは親からの自立のこと(分離固体化)

というわけで、自分らしさを探す、自分探しというのが、若者、つまり思春期特有の課題だということがいえます。

では、思春期課題とは何かといえば、親離れ課題、自立課題になります。

もっと専門的に言えば分離‐固体化(M・マーラー)の課題です。もともと分離‐固体化の課題は、幼児が母親から自分の足で離れていくことができることなのですが、思春期は、第2の分離‐固体化と言われます。

思春期特有の症状としての境界例(ボーダーライン)

ここで、症状の歴史の話になりますが、70年代に出てきた、思春期特有の症状があります。

境界例(ボーダーライン)と言われてる人格障害といわれる若い人たちで、激しいアクティングアウト(自傷行為や性的逸脱行為)を伴う、極端な人間関係を繰り返す若い人たちです。

そこに摂食障害なのどの依存症も絡んでいて、原因のよくわからない、若い人たちの特有の病理とみなされていました。それが90年代くらいになると、思春期だけでなく、大人になってもそういう激しい症状を出す人たちがいて、その人たちのことAC(アダルトチルドレン)というようになりました。

その背後には、家族問題(家族内の暴力や父親のアルコール問題)が絡んでいることが分かってきました。

不登校問題から引きこもり問題へ

それと同時に、学校の不登校問題が話題になって、それが学童期の問題だけじゃなくて、大人になっても家から出ない引きこもり、対人恐怖に悩む若い人たちが出てきて、今は引きこもり問題は若者だけでなく、そのまま大人になっている人たちも大量に出てきている状況です。

自立課題としての境界例や引きこもり問題

おわかりのように、境界例や引きこもりはもとは思春期課題の問題なわけです。当時の思春期問題が、現代では思春期で終わらず、遷延化(伸びていること)していると考えられます。

つまり境界例(ボーダーライン)や引きこもりという現象は、思春期課題、つまり、親離れ、自立の課題に直面した時の心の葛藤が、症状として現れていると言えます。

社会に「適応」するとは何か

自我心理学では「適応」(adaptation)という言葉があります。学校に行けない、社会に出られない、就職できないなどは、社会に適応していない、適応が悪いといった使い方でいわれます。

たとえば、学校に行く、資格を取る、職に就く、結婚する、家庭を持つ、子どもが生まれる、子どもを育てる、という各人生の年代で人生の課題があり、それをクリアしてくことがライフサイクル(E・エリクソン)と言われて、それぞれの課題に適応していくことでアイデンティティ(自我の同一性)(自分が自分である感覚)が得られるといわれました。

つまり社会的な役割を周りが自分に認めて、それを自分もそうだと思うことで、それが自分なんだという、アイデンティティを感じられると考える訳です。

例えば、上の引きこもり問題を例にとって、では、その解決や支援は何かというと、このライフサイクルてきに沿った流れに乗せるものとえいます。

「適応」しても生きている感じがしない人たち

しかし、現代では、このライフサイクル課題をクリアしたり、社会に上手く適応したとしても、自分のアイデンティティを感じられない、なにかむなしい、自分の人生を生きている感じがしない、という人が出てきています。

そういう方は、何か症状があるわけではないけれど、自分の人生を生きていない感じがするといって、心理相談に来ます。

機能しなくなった制度

これはどういうことかというと、近代国家を作るうえで必要だった、軍隊、学校、(兵器を作る鉄鋼を加工する)大きな会社組織、そしてそれらを支える家族(核家族)が現代になって、役割を終えて、もう機能しなくなっているからです。

戦争がなくなって軍隊はいりませんし、車製造や大きな工場を建てる鉄鋼業などの会社組織も現代ではもう必要ないですし、学校も今では一流大学を出ていない限りメリットがなくなりましたし、そのため、家族を作る人が減り、晩婚化・少子化の流れは止まりません。

そもそもそういうものが必要だったのは、植民地化されないために、国を強くするため制度だったので、戦争が終わり、近代化も終わった時点で、そのような制度も機能しなくなっているわけです。しかし、国の制度自体が、いまだに戦前の富国強兵時や戦後の経済成長のために作った当時のままで、現代の時代に合ったものになっていないのです。

その機能していない制度のマインドのママに、その機能しなくなっている制度に、適応しようと、私たちの心や常識も従っているわけです。

なので、適応してもしようがないじゃないかと思って適応しようとしても、葛藤を生じます(引きこもり)し、例え適応してももうその制度は機能していないので、十分な商人や充実感は得られないということになります。

引きこもり支援の実際

例えば、地域の引きこもりの支援などは、自立しよう、ということで、社会参加させようとして、“障碍者枠”や自立支援などの“謎の”名目のもとに、アルバイトなどをさせようとするわけです。

それ自体は間違っていないのですが、問題は、例えそれを達成しても(仕事がつまらなさすぎるということもあり)、何も充実感が得られないし、キャリアとして積みあがっていくものではないので、すぐにやめてしまってまた元に戻るということがよく見られます。

引きこもりや不登校の数は、年々あがっているところをみると、このような支援は功を奏しているとは言えません。

これはなぜかといえば、もう日本の企業は利益を出しておらず、今後経済発展などない、だれもが豊かな生活は望めないのにもかかわらず、大人になったら就職をしないといけないという常識に援助者側もとらわれているし、引きこもり当人もその常識にとらわれて苦しんでいるからです。

上っ面の適応しても充実感はない

これは何を意味しているかというと、私たちが常識と思っている、あえて言えば“上っ面”の適応をいくら重ねても人生の充実や、自分らしさが実感できないということになります。

世間から与えられた外側の適応だけではなくて、自分が自分を見たときにそこに感じる内面の「自己同一性」を感じられなければ、自分らしさは感じられません。

先に書いたように、AC問題というのは、親離れ課題、自立課題と考えられるわけです。それを上っ面の適応(人と同じように学校に行って、就職して、結婚してみる)をしてみても充実感が得られないのです。

これまでの時代のように、皆がやっているから、人から言われたから、世間がそう言っているからという理由で、なんでそれをやるかを考えなくてもとにかく一生懸命やれば(例えば受験勉強、一流企業への就職、物質的に豊かな家庭を作るなど)、苦しいけれど、充実感や経済的安定、アイデンティティを得られていたものが、現代では、その外側の価値が崩れてしまったので、外側からの締め付けがなくなった代わりに、自分で考えて価値を見つけて行動しなければいけなくなりました。

自由を与えられたけれど、何をしていいか分からないというのが現代だといえます。

ではどうするのか?

自分の生き方のパターンを知る

現家族での暴力やトラウマもですが、ライフサイク上の失敗も心的外傷として私たちの心に深く刻み込まれ、無意識のうちに反復強迫します。(たとえば不登校や受験の失敗などが、なん度も繰り返す学校の受験の囚われになったり、資格獲得への執着になったりします)

私たちはその心的外傷を克服するために、いろいろと試行錯誤、暗中模索するわけですが、

もし無自覚にやっているとそれはいつも同じことを繰り返している反復強迫ですが、自覚して取り組めばそこには人生の限りない仕事を生み出す、尽きぬ泉であり、創造性の源です。

みんな悩んで大きくなった…

自立課題の試行錯誤暗中模索というのは、昔から、人生の最大のテーマです。例えばサイコセラピー(精神分析)の創始者のS・フロイトも、ユダヤ人だったために、ウィーンの医者の世界から受け入れられず、そこからどう自立するかというのが彼自身の大きなテーマでしたし、彼の自立の過程と、彼の作った「精神分析」は分けて考えれません。日本でいえば、夏目漱石の「私の個人主義」もテーマは自立です。

簡単に自分らしさを見つけるな

自分の人生をどう生きたらいいのかと試行錯誤するの様が「自分らしさ」になります。ですので、簡単に、近道をして、うわっつらだけ社会適応して、自立しました、とはなってはいけないのです。

自立のための試行錯誤が自分らしさ

ACとは機能不全の家庭の中で育ち、生きづらさを抱えている生きている人たちです。その生きづらさは、世界から疎外されている(仲間外れにされている)感、居場所がない感じとの闘いと言っていいでしょう。それで、自分が悪いから、外の世界の基準に合わそう、合わそうとすることしてきたけれど、それ自体が苦しかったわけです。

ACは自分らしく生きるポテンシャルを持っている

その生きづらさ抱えながら、死なずに生き抜いてきた力は相当なもののはずです。その力をどう自分の個性として、自分の人生をどう生きていくかを取り組むことできる、自分らしい人生を送ることができるポテンシャルを持っている人たちと言い換えることができます。

自分の真の課題に取り組もう

症状や病理にまでなるとそれはそれで苦しいですが、それも症状や病理も含めて、その人の試行錯誤です。できれば、そこの部分は早く通り抜けて、自分の実存をかけた課題に取り組むお手伝いを、大崎セラピールームはさせていただきたいと思っています。